中村一義 : 愛すべき天使たちへ Short ver.
さてGB名作音楽集も5回目ですね。今回はみんな大好きがんばれゴエモンシリーズより、『さらわれたエビス丸』です。がんばれゴエモンは初代がFCです。本作は同年にSFCで『ゆき姫救出絵巻』が出たのちに発売されてるくらいですからかなりおなじみのシリーズなわけです。発売は1991年。開発元はコナミ。コナミのゲーム音楽といえば、ゲーム自体に音ゲーの有名作品も多く(『ビート・マニア』『ダンス・ダンス・レボリューション』『ポップン・ミュージック』)、シューティングをはじめとして、そのゲーム音楽の良さを賞賛する声が多いみたいです。それゆえに、「コナミサウンド」という通称を持っているわけですね。
さて、本作です。僕のゲーム遍歴からすれば、コナミ系作品をやってること自体があまりないのですが、それでもそこに本作がすぽっと入り込むあたりがヒロイックだなーと思います。これもサントラなどでは出てないですね。手がけたのは「たさかしんじ」さんと「はぎわらよしゆき」さんと十一谷明広さんです。十一谷さんはその後もいろんなハードにおいて音楽を手がけていますが、前の2人はどうも以後露出があまりないようです。ベテランだったのでしょうか。手がけた役割や割合なども不明です。シリーズを通して手がけるという習慣がコナミにはないのかもしれません。そこにスクウェアと比べるとゲーム音楽が後景化する理由があるように思います。最近の重要シリーズ『メタルギアソリッド』では2以降でイギリスの作曲家Harry Gregson-Williamsを起用する戦略をとっていますが。
ゲーム自体が、知っての通り和のテイストを大切にすることが要求されますので、洋楽チックにプログレなどに流れるスクウェア系RPG作品とは異なり、なんともぽい旋律性を持っています。もっとも評価の高いのは動画のコメントを見れば分かりますように、出羽のフィールド曲です。三味線をゲームボーイのサウンドボードで見事に再現しております。他の楽曲群も、統一感を持たせながら、フィールド用のものを中心としてゲーム音楽として素晴らしい到達点にあるといえるでしょう。
と、ここまでかきながら、申し訳ないことに、他のゴエモンシリーズをほとんどやったことがないので、本作の音楽が一番いいのかわからないのですね。ゲームボーイ音源というのはそれだけでかなりプラス要因なわけですけど。
あとサガシリーズでもそうだったんですが(ジュークボックスですね)、音楽に自信があるがゆえにかどうかはわかりませんが、本作には確かサウンド・テスト機能が付いていました。つまりゲームボーイの音楽をそれだけで聞かせたいという製作者側の意図があったわけですね。この機能は他のゲームボーイソフトに標準的なものだったのでしょうか? そうでなければ、そのような機能の有無で製作者側の音楽にかける本気度を測るのも良いかもしれません。
てかニコニコ動画にもうネタがなさそうです。
さてGB名作音楽集も4回目ですね。今回はみんな大好き星のカービィです。カービィも初代はGBなんです。発売は1992年。やはりこの頃はGB黄金時代ですね。僕にとってもそうですが。開発元はHAL研究所。通称ハルケンです。
さてゲーム音楽好きの皆さんのことですから、もはや気づいてらっしゃると思いますが、これまで紹介したやつはすべてオリジナル・サントラが発売されていません(多分)。現在ならば結構サントラというものも出やすい状況だと思います。歌手とのタイアップなどもありますし。しかし当時はいくら良くても一部を除いてゲーム音楽は不遇だったわけです(もうすぐ不遇でなかったスクウェア系のをレビューします)。要因もあります。たとえば本作のように曲としての展開が少なく、それらをまとめてもどうしても尺が短くなる場合があるわけです。しかしだからといってそれらが捨て置かれる状況というのが許されていいはずありません。いつかしっかりとアーカイブ化され、公式音源としてオリジナルのまま発売されて欲しいものです。それまでは有志によるまとめが役立ちます。著作権的には?ですが。
ゲームは常に音楽とともにありました。ゲーム音楽はポピュラー音楽としてかなりの有効範囲を備えているはずです。そして懐メロとして回収されるにはあまりに惜しい現在性もあるはずです。僕はGBしか所有を許されなかった家庭環境でしたが、それでも多くの曲がしっかり脳裏に刻まれている上に、今聴いても良くできてると思う曲が多々ある。
このカービィの楽曲群も短いながら良質なアイディアに満ちている。いくつかはその後のカービィにも欠かせない名曲としてアレンジを変えて今の世代にも受け継がれている。このようにシリーズを通して伝承されるというのも多くのゲーム音楽の特性として重要でしょう。カービィの音楽を手がけているのはいうまでもなく石川淳です。すごい旋律を生み出します。オープニング、グリーングリーンズのステージ、デデデのステージなどが有名ですが、当然他の曲も興味深いですね。いうまでもなく音楽が優れていればゲームデザインも優れているのであしからず。
個人的な電子音楽への源流を探るゲーム音楽特集第3弾です。前回の予告ではスクウェアのあの2人にしようと思っていたけれど、やめました。ラストバイブルにします。Iは1992年発売、IIは1993年発売です。物語としては、多種間理解と神殺しでしょうか。作曲者は両作品とも「ヤナダ ヒロユキ(梁田裕之?)」というかたです。もしかしたらチームで作っていたのかもしれませんが。情報を探しましたが見つかりませんでした。これほどよいゲーム音楽を手がけているにも関わらず、名前がしっかりと刻まれていないというところにゲーム音楽の不遇があるように思います。このように良い音楽を送り出しながらも、EDクレジットでカタカナ表記されて終わってしまうというのはなんとも悲しい状況だったといわざるを得ない。もしかしたら今でも現役で製作に携わっているのでしょうか。メガテン・シリーズのアトラスではなくその下請けであるマルチメディア・インテリジェンス・トランスファーが開発しているというのも、いわゆるゲームクリエイターの後景化につながっているのかもしれない。このあたりは推測ですけれども。個人的にはIIの音楽のほうが秀逸であると思いますが、Iもその萌芽をしっかりと備えた名曲ぞろいです。IのOPを聴けば見事なコンポジションに驚かされることでしょう。ボス戦の曲など唖然としてアゴ外れます。各パートが動き回りなが、見事な主旋律が歌いを演出している。単調に終わらない見事な展開も素晴らしい。FF、サガ、ドラクエと数ある音ゲーたちの中でも決して見過ごすことのできないRPG屈指の名曲群である。このゲームをしているかどうかでその後の音楽的性向は変化するとさえいえるだろう。ゲーム音楽といわれたときに、まず思い出すためにも是非プレイして欲しいです。
個人的な電子への傾倒の源流を探るゲーム音楽特集第2弾です。今回も任天堂から1992年に発売された『カエルの為に鐘は鳴る』です。確かもっくんに借りてやりました。10回以上はやったでしょうか。カエカネという略称で呼んでいました。言わずと知れたゲームボーイの名作ですが、音楽も素晴らしいです。特にオープニングの入りが素晴らしいですね。まるで変奏曲のように展開しますが、その統一感がある種の音源の限界を乗り越える手法として高く評価されます。作曲者は任天堂所属の「とたたけ」と呼ばれる戸高一生さんです。欠き忘れてましたがMy Tube Vol.4の『ゼルダの伝説夢を見る島』の音楽もとたたけさんが手がけました。翌年ですね。本作が名作とされるのもやはり音楽が幼い心に何度もリフレインされるほどよくできていたからでしょう。彼は最近では「どうぶつの森」シリーズのサウンド・ディレクターをやっているそうです。CMでよく流れてたゴンチチみたいなのも彼の作曲でしょうか。ともあれ、あまり前景化しない任天堂のサウンドクリエイターですけれども、もう少し注目されてもいいかもしれません。次回はかなり前景化しているスクエアのあの2人あたりに注目する予定。
最近は動画サイトの隆盛で著作権関係がないがしろになっていますが、個人的にいろいろな音源が聴けるというところに魅力を感じています。権利者のほうも販促の一環として大いに利用して欲しいところです。さて、ジェイポップにおける電子関係の展開を見るのを一端やめて、今度は個人的な音楽経験を紐解くためにゲーム音楽を聴いてみましょう。私の電子への憧憬は、他の多くの人々同様に、間違いなくゲーム音楽に源流があります。目が悪くなるという理由でテレビゲームを禁止された私ですが、ゲームボーイだけ許可されていました。ゲームボーイの制限された音源がどこまでのコンポジションを作り出していたのか。それは私のアシッドテクノへの偏愛へとつながっていることでしょう。今回からMy Tubeではネタがなくなるまでそんなゲームボーイの名作たちとその音楽を紹介することにしましょう。
第一回目は1993年発売の任天堂の『ゼルダの伝説~夢をみる島~』より「かぜのさかなのうた」です。ゲーム音楽全体を考えてもトップ5に入る名曲ですね。プロダクトとしても、ゲームシステムが優れているのは当然ながら、ナラティブもよろしかったです。つくりものの世界を扱うという点では、ディック的であり、Vol.2で取り上げたPerfumeの「エレクトロ・ワールド」と同様、個人的に好きな世界観である。指定の動画はカラー化されたDX版の曲をメドレーで見せるもので、31分55秒から当の「かぜのさかなのうた」~エンディングというくだりになります。当然ネタバレを含みますので、未プレイの人は見ないでプレイしてください。英雄とは、ある側面において絶望の使者である、という。そして解放者とは破壊者である、という。そういうことを学んだゲームです。あと私の鯨好きもこのゲームに由来していると推測される。
私はニコニコ動画でコメントしたことはありませんが、感動を共有しようとするあまりにほとばしってしまうロゴスの波が嫌いではありません。でも気になる人はオフにしてください。
Perfumeが後退であるというのは、ほぼ同時的に初音ミクが隆盛を極めたことを見ればわかる。両者の現象は同時的で相補的であったが、パフォーム概念において、どちらがSFかは明らかである。後者はオリジナルなき反復を許すシュミラークルであり、なおかつすでにIdleとしてのオリジナルとなったのである。すでに電脳アイドルを予言したギブスンの世界が到来するわけであるが、本作において、彼女はすでに「消失」してしまったとされる。しかしこの消失は常に十全な再生可能性を保障されたものである以上、現象自体が過剰にポエティックに変貌しているのである。初音ミクによるもっとも有名な「みくみくにしてあげる♪」ではすでに科学の限界を超えるということが歌われている。しかしそれはイコンに依存した仮像を内包している。それは物語として科学の限界を超えているのである。ここには人文がある。つまり単なるボーカロイドは名前を持つ初音ミクとして現象する、ただしこれだけではただ概念的に。パッケージに描かれた青毛のツインテールがパソコンへのインストールを要請する、これにより彼女が生起するのである。本作と「みくみくにしてあげる」には明白な自己言及が存在し、初音ミクの存在論的なパーソナリティをナラティブリーに記述されている。過剰に背景が連動される昭和歌謡曲と同一の構造を持っているということは指摘するまでもないが、初音ミクは現代ポピュラー音楽が抱えている問題を先鋭なかたちで再提示するのである。本作は音楽的には洗練がやや足りないけれども、「刻みつけたネギの味を今もおぼえているかな」という言葉によって、大きな意味を持つ。味覚と記憶のかかわりによって、プルーストのマドレーヌ(この場合嗅覚だが)を引き合いに出すのではない。端的に味覚によって初音ミクがパフォーマティブな「身体」として表象されるのである。初音ミクにおいてネギとは「かじられる」食事としてもっとも重要なマクガフィンなのだ。ここで問題なのはカントなのである。(ネギはそもそも初音ミクの設定ではないことに注意が必要だが。しかしすでにアトリビュートとして機能し始めている。このような拡張性と定着は初音ミク受容の問題と関わる)(未推敲、書きかけ)