Sufjan Stevens : Illinois
ARTIST / Sufjan Stevens
TITLE / Illinois
LABEL / asthmatic kitty records
DATE / 2005
TITLE / Illinois
LABEL / asthmatic kitty records
DATE / 2005
1581。myspace。Lサイドによるレビューはこちら。はい、まず間違いなく、現在のところ、21世紀でもっともわれわれが重要視すべきと考える作家です、この愛すべき馬鹿は。正座と体育座りを混ぜた体躯で聴くことを要請する。卓抜すぎるわけですね、結局のところ。これをLサイドから提示されたときは、「でたよーまたまた、でたっ!よ!妖怪大風呂敷広げ!このジャケでそんな君ね、馬鹿いっちゃいけないよ、しかも今日そんないい盤なんてもう出るはずないでしょうが、てかそろそろ音楽聴くのやめて別の話しねー?」って思ったぐらいです。それが、この孤独な3と7を約数に持つ世紀も捨てたモンキーじゃない、と僕をして思わせしめたわけです。これを先に見つけるのが奴でなくて僕であったなら、と夢想するほどでした。どんな顔でどんなテンションで、僕は奴の家にStevensの盤をもっていっただろう、と。どんな口上を並べて奴のマックに本作を挿入させただろう、と。そしてどんなニヤツキで奴の顔を眺めただろう、と。われわれはウタモノに対してほぼ一致した共有原理を持っている。最も重要なのは、自分の旋律を持っているか、自分のブシを持っているか、ということである。厄介なのは、それで成立するほどわれわれの趣味が狭くないということで、そこに今や美学的に数世紀前のものとなってしまった天才概念に基づく創意やアイディアが必要となるわけだ。同じようなことをいっているようだが、まあ旋律とアレンジと考えてくれればいい。その見事な調和、最高点での調和が必要なわけだ。20世紀も終わろうとしている頃にそれを成し遂げた1人がJim O'Rourkeであったことはいうまでもない。彼はアメリカーナという精神的旋律性に、それまでのキャリアを捧げた創意に満ちた実験性を接合し、見事にパッケージングしていた。Stevensも本作と"Michigan"において表明されているように、アメリカ合衆国の50州をテーマにして盤をつくるという精神性を持っている(これは例えばAphex Twinなどにも現れている天才的な虚言癖に由来するものだが)という点、そして穏やかながら少なからず電子音楽にもコミットしている点は、O'Rourkeとの興味深い符合ではある。この2点を考えると先人としてO'Rourkeの偉大さが際立つように思われるが(少なくとも電子の分野では段違いでO'Rourkeに軍配が上がるだろう)、それでもしかし彼らを積極的に比較したいという気持ちはあまり起こらない。Stevensにはそれだけ個としての価値があるように思うわけだ。その内実は現在言語化できないけれども。さて、宗教的な背景を持つからか、Stevensには下品さや暗がりがない。これはポピュラリティをもつ訴求性であるととも、天才像を強固にする狂気や孤高性を担保できないという欠点にもなる。いうまでもなく本作ではそのすべてが清廉で美しい曲で満ちているように(表面的には)感じる。とはいえStevensがこの方向に進むことを僕は熱烈に期待する。そこにはこれまでにない新しい可能性があると思うし、イメージの再生産と流通によって下品な馬鹿は多いけれども、愛すべき馬鹿はほとんどいないのである。今聴いても、音が輝いているし、それらが絡まりあって見事な複雑性を体現し、それを浮上させない極上の旋律性がある。今新譜が最も待たれるうちの一人である。よくあるフレーズを使うならば「本作を聴いたことない人は幸福である。なぜならこれから聴くことができるのだから」