Battles : Mirrored
ARTIST / Battles
TITLE / Mirrored
LABEL / warp reocrds/beatnik
DATE / 2007
TITLE / Mirrored
LABEL / warp reocrds/beatnik
DATE / 2007
1191。今日「スーパーグループ」と呼ばれるようなバンドは稀有であるが、Battlesは早くからその形容が与えられていた。Dave Konopka、Ian Williams、John Stanier、Tyondai Braxtonというそれぞれ固有の背景をもつ4人がそろうことがその形容を引き出したのは各方面からの語り口で理解できる。4人のなかで、特にこのブログで頻繁に言及されるのは元HelmetのJohn Stainerだろう。それはさておき、Battle2が小刻みにアメリカのインディーレーベルからドロップしてきたEP群が高く評価されて、現在奇形的な動きを見せるwarpが飛びついたのは別に以外でもなんでもない。もちろんPrefuse73ことScott Herrenが招きよせたというのが大きな要因だが、しかしwarpを語る上でまたひとつの参照点をBattlesが設定したと考えてよいだろう。Lサイドは早くからBattlesに期待を寄せており、僕としてはBattlesはそちらに任せていた部分もあるが、さすがに記念碑的になる可能性を秘めた1stがかのwarpから出るということになれば、僕もミーハーにならざるを得ない。さて、この盤を聴いてみると、その内容は僕が予想していたものではなく、あくなきポップスの探求が試みられているように感じられた。そしてこのBattlesの人気が日本で非常に過熱しているのは(ととりあえず仮定する)、「日本人的な」というレッテルによって本質主義的に規定されるある種の雰囲気に依拠しているのではないか、という感想を持った。そのレッテルはあくまで僕の直感的なものであるためになんの根拠も持たない。非常に端的にいうことが許されるならば、祭りばやし的喧騒、とでもいおうか。少なくとも先立つEP群において、そのような感想は持たなかった(あるいはきちんと聴いていないだけかもしれない)。このレッテルは決してよしあしの判断を付随するものではないのだが、この盤が日本で大きく(といっても日本盤の初回限定生産は2000枚程度だが)受け入れらた背景を考察する端緒にはなる。そして奇妙に感じたのはある種の旋律主義的性格をこの盤が持っているということである。これは強烈な「ポップス」への契機となることはいういまでもないが、Battlesってこれほど口ずさめるものでしたっけ?M10における1:10からの数小節はいわゆる「マスロック」のうごめきによって各楽器が調和する方向へと向かう予感をはらんでいるが、音が消えて始まるのは祭りばやし的喧騒と旋律への一元化である。それが悪いのではなく、常に個人的な、こんなんだっけ、という疑念がさしはさまれるだけである。たしかに最高に緻密で、洗練されたポップスに仕上がっているが、ある種の先祖がえり感があるのは否めないのではないか、という疑念が刺激的に頭を去来する。全体的には正解である。しかしその正解が僕には今のところ承服できない、というところか。書くことは多そうだが、とりあえずこの辺でやめる。