Glenn Gould : J.S.バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1955年録音)
ARTIST / Glenn Gould
TITLE / J.S.バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1955年録音)
LABEL / sony music
DATE / 2007
TITLE / J.S.バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1955年録音)
LABEL / sony music
DATE / 2007
1165。グールド紙ジャケコレクションの1枚目にあたる。当然である。この盤でGouldはその名声を一気に勝ち取るわけであるか。Gouldといえばこのゴールドベルク変奏曲であり、それは晩年に一度再録されていることからもわかる。帯の文句に《グールド伝説のはじまり―衝撃のデビュー・アルバム》と記されているのもそのためである。米国初出盤には演奏者としてのGouldがゴールドベルク変奏曲をアリアから初めて順々に分析しており、興味深いところである。このGouldの解釈が、ゴールドベルク変奏曲研究においてどのような位置を占めているのかはわからないが、次の言葉は注目に値するだろう。「私たちは...超音楽的思考について語るのはとっぴなことではないと思う。この作品が変奏曲として根本的に志向しているのは、有機的な組み立てではなく、センチメントの共有だと私は考えるからだ。ここでは主題は帰結点ではなく放射状の広がりである。変奏は円を描くのであって、直線ではない。そして循環するパッサカリアは変奏が描く同心円的な機動の焦点を定めるのである。 要するにこれは、終わりも始まりもない、真のクライマックスも真の解決もない音楽...なのである。よってここには直観による統合がある。技能と吟味から生まれ、熟練によって磨かれた統合である。芸術においてめったにないことだが、この統合は、権勢の高みにおいて勝ち誇る姿となって、私たちの潜在意識に訴えかけているのである」(訳=宮澤淳一)。Gould自身非常に弁がたつ人物であったことがこの文章から伺える。Gould的にいえば、この円環としてとらえられたゴールドベルク変奏曲はアリストテレス的な物語性が欠如していることで、われわれを罠にはめる。変奏とは常に第一主題のパスティーシュである。そこにはたとえ作曲者が同じでも分裂した自我によって過去の自分が引用され変更されていく。ポストの連立によって、それはある種のポスト・モダン状況を示しているのである。もちろんこの状況とは、常に解釈的で思弁的なポスト・モダン的態度であり、なんら実質をともなうものではない。それはバッハはポスト・モダンであるという言説が、時代性を超えて機能しうる限り、少なくとも僕のなかでは、やはりなんら有意味な言説ではないのである。