Glenn Gould : J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻 Vol.1(第1番~第8番)
ARTIST / Glenn Gould
TITLE / J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻 Vol.1(第1番~第8番)
LABEL / sony music
DATE / 2007
TITLE / J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻 Vol.1(第1番~第8番)
LABEL / sony music
DATE / 2007
1162。グレン・グールド紙ジャケ・コレクションの5枚目。個人的にリヒテルの平均律に重度の思い入れがある。別にGouldである必要性を感じるわけでもない。しかしGouldがとった方法論はそれまでの聴衆の存在を否定し、クラシックが前進する、ないしは崩壊するという点で注目される。学術的にもっとも語られる(語られやすい)Gouldであるが、それは僕のような人間が取り上げているところからもわかる。ピアノを習っていたときからバッハの構成美に見せられ、それを忠実に再現するリヒテルのテクノ性に魅了された僕は、しかし、実際のところ、演奏家の違いで明確にその個性を見出せるほど卓抜した耳を持っていないために、「ああ、たしかに遅い」という先入見とそれに彩られた鈍い感性によってしか反応できないというのが現状である。それにも関わらず、Glenn Gouldという名前は言説のあふれ出る煮汁により、やはり避けては通れなかった。さて、この盤は1962にニューヨークで録音された平均律クラヴィーア集第1巻の第1番~第8番までプレリュードとフーガに分け全16曲収録されている。旋律と構造自体は慣れ親しんだものであるが、たしかになんとなく重く、遅い気がする。解説に付されているアルベルト・シュバイツァーの『J.S.バッハ』の言葉を孫引きと、「《平均律クラヴィーア曲集》ほど、バッハにとって芸術は宗教だったことを私たちが実感させられる作品はない。バッハは...自分が生をも超越していることを常に意識している1つの精神が感じ取った人生の現実を描くのである」。わかったようなわからないような言説の氾濫はあまりほめられたものではない。Gouldにバッハの精神が宿っていたのかわからないが、まったく宗教的荘厳さを欠如させた演奏方法には、おそらくGouldの精神が強く押し出されているのだろう。レガートさがわざとらしいほど断ち切られた演奏である。つまりオルガンの特徴が否定されているというわけだ。云々。勝手に言ってるだけなので参考にしないでください。帯の文句は《冷静と白熱―孤高の「平均律」》。さて何だかんだいってミーハーここにきわまれりである。今回からまとめて紹介するのは生誕75年/没後25年記念として、sony musicが企画したGouldの紙ジャケ化プロジェクトの第一段計10枚である。