Shellac : At Action Park
ARTIST / Shellac
TITLE / At Action Park
LABEL / touch & go
DATE / 1994
TITLE / At Action Park
LABEL / touch & go
DATE / 1994
1064。おしっこちびる。おしっこはちびられる。膀胱にたまる液体が体内で震える。細胞はいやおうなく発汗し、精一杯の、最大限の運動を、反応を。部屋の空気が変貌する。Shellacによって変貌する。恐怖に支配された、しかしどこまでも規律的な世界。世界は震える。僕はおしっこをばら撒く。世界はぬれる。床で飛び跳ねる水しぶき。水さえも、分裂していき、一瞬で空中に解き放たれる。熱以上に、水にも間違いなくSchellacの強靭な音が刻まれたのである。僕は死ぬ。脂肪は燃える。音を立てて燃える。しかし、その音は、英雄にして悪魔である3人の音によってかき消されてしまう。Shellacが徘徊する部屋にいる、ということは、そこで死ぬということと同義である。「存在する」という動詞は打ち消される。どこまでもパーソナリティに食い込んでくる音は、一瞬にして存在者すべてを無効化する。素材にして形式である音。部屋という外在的な存在はもはや機能していない。素材にして形式である音がそれ自体として世界なのである。Robert Weston、Steve Albini、Todd Trainerという3人の身振りは、常に創りあげる身振りである。空間を占める創造物によって、そこにそれまで安穏と存在していたものはよそへと押し出される。権利を主張するという極めて人間的な行為は果たされない。光あれ、という言葉のように、3人の身振りは音を彼らが望むがままに作り出す。ギター、ベース、ドラムという所与のものが、極端なまでに研磨されるとき、それはまさにShcellacの一部として、我々のしっているおもちゃとは異なるウェポンとなっている。湧き上がる畏怖。いや、それを感じる前に否定されるわれらとは。黙れという身振りではない。しかるべき身振りである。われら聴衆はだまる主体として、無力な肉として、含有している水分を瞬間瞬間に蒸発させながら、その物理現象に支配され、空間をはね続けるのである。Shellacを聴く前に、あらゆる悪事を謝罪せよ。傑作すぎて前が見えない1st。堅牢な物語のはじまり。だから、みんなにごめんなさい、と。