Abstrackt Keal Agram : Cluster Ville
ARTIST / Abstrackt Keal Agram
TITLE / Cluster Ville
LABEL / gooom
DATE / 2003
TITLE / Cluster Ville
LABEL / gooom
DATE / 2003
1043。以前紹介した盤"Bad Theriller"。gooomというのも最近あえての購入欲を陵辱しないなあ。決して嫌いではないのだけれども。自分を分析してみると、現在の視座の設置がどうも分野別ポピュラー音楽史的なところにあるためであり、一定のクオリティを求めたり、トリッキーな作家たちを求めたりするのではなく、ある時代、ある地域で重要な位置をしめると考えられる作家を取り上げたり、それを効いたりするのが面白いと思っているからなのだが。もちろんgooomはフランスの電子的方向を求めるレーベルとしては重要な位置にあるのだが、やはり今個人的にもっとも熱いのは時代でいえば70年代末から90年代初頭であるから、2000年代の飽食の時代には下がしびれてしまうのである。電子とヒップホップの邂逅において、面白いところは中心となるリリックを捨象しブレイクビーツとしてのヒップホップの形式を積極的に取り組むということであるが、このような方法論はもちろん90年代から盛んに行われてきたことでもある。このユニットの場合はそれを純化するのではなく、ときにキチンとリリックを投入するというところである。ヒップホップはもちろんビートを捻ることによって、新しい身体性を獲得したのであり、それをまさにヒップホップの形式として電子へと還元するという動きは重要である。つまりヒップホップ好きの多くのトラックメイカーが存在するというのが昨今のエレクトリック・ミュージックの実情であり、しかしそのことをだぶついた服を引きずるギャングたちは注目しないのである。この交錯しない視線というのは興味深い。つまり決定的なのはギャングたちのよりどころとする言葉であるところは明白である。しかしロゴスは常にもっとも明白な意味内容として聴衆を誘惑する。それはより重要な意味を内包した記号であるから、われわれはそれにひきつけられるのは自明である。音楽は演奏をやめる。それでも彼らは語り続ける。それはそれで成立している。ではやんちゃなビートはどこに行けばいいのだろう。音は言葉を演出するための地位に甘んじなければならないのだろうか。世界平和を説く音楽のなかにヒエラルキーが存在する。これを指摘したのはとある天才的笛吹きであった。しかしマーケットを支配する多くのポピュラー音楽において楽器間のヒエラルキーよりも深刻なのは王としての言葉と奴隷としてのバック・ミュージックなのである。声が意味をつむぐ以上、それは超えがたい体制を設定せざるを得ない。僕が洋楽を愛好し、インストを好むという性向はひとつには以上のことに起因しているのは言うまでもない。さてと。あ、この盤のことだが、ビートも凝っているし、ラップもゲストを招いて本格的に展開するから聴いて損はないと思われる。