Owsley : S/T
ARTIST / Owsley
TITLE / S/T
LABEL / giant records
DATE / 1999
TITLE / S/T
LABEL / giant records
DATE / 1999
1879。ひとつ、衝撃的な発言が、許されるとすれば、Owsleyは2010年4月30日に死んでいたことになる。44歳。まずまずのおっさんで死んだ。自殺と見られるという。成功と、もしかしたらの挫折が、彼を不可解に、殺した。のかもしれない。気付かぬうちに。いつの間にか2ndも出ていたらしい。早く次を出さないかなと思っていた感情は、目移りばかりする浮気なリスナーたちから、いとも簡単に消えうせる。そういうものじゃないといっても、そういうものだからしょうがない。しかし彼が残したこの1stは、ジャケで見せる完璧なまでの若手ジャンプに表象されているように、時代をとらえた。パワーポップなる言葉は時代に敷衍して語られるが、それをこの時期に愚直に達成したぽっとでのOwsleyはその強烈なポップネスをギターでかき鳴らして死んでいった。死ぬとはどういうことか。それが徐々に近づくこと。同時代で活躍した音楽家が死ぬこと。文学者が死ぬこと。画家が死ぬこと。歴史化すること。それがもっともわれわれの未来を明確に意識させる。われわれが享受する彼らの所産が、すでに屍の上で歴史化していることが多いが故に。M3の'Coming Up Roses'を聴いたとき、The Beatlesをなぞる美しきSSWとして、その愚直さに、こういうことだと思った中学時代。イントロからサビへの解消は、Owsley渾身の現代的な解釈であった。みんなが眠りに付いているときに。そう思った。Owsleyが死にたかった今日は、僕がまだまだだらしなく生きている昨日たちであって、それ以下であってもそれ以上ではありえない。才能は、突き当り、どうしようもなく死んでしまう。そういう魂が、パラノイアな性質には付きまとう。完璧を求めると、こうなる、という証左のように。僕たちの少年時代を輝かせたポップスターは、誤解を恐れずにいえば、のたれ死んだ。その才能がが故に。そして本作はどうしようもない、センチメンタル・フェイバリットとして、どうしようもなく、だらしなく、ほぼ死んでるようなものに過ぎないような態度で、電車に乗る僕たちの、記憶の暗がりに刻まれている。がんばれよ、無能な人間たち。それに気付かぬまま。がんばればいい。俺たちと話したいなら、せめて本作をある一定の時期に聴いておいてくれよ。頼むぜ。ひとつ。