大森靖子 : 絶対少女
ARTIST / 大森靖子
TITLE / 絶対少女
LABEL / pink
DATE / 2013
TITLE / 絶対少女
LABEL / pink
DATE / 2013
2222。以前紹介した盤"Pink"。現在その真価と新化と進化と深化とそのたもろもろが問われている作家は大森靖子である。彼女がその名前をとりあえず一定の花畑アンダーグラウンドから解き放った2ndは、ジャケットから音にいたるまで、自己プロデュースを上張りすることによって獲得したと感じる。2010年代になって、メタフィジックな常套手段をどうどうとやってのける恥知らずな手法によって、偽悪的なまでの態度を示し、ののしりと賞賛を等価値に受け止める大森さんは稀代の天然ボケなのか、奇跡を引き寄せたのか。その外装に惑わされることなく、彼女が獲得している音楽へのひたむきな面接は、しかし、近年僕がしる日本の作家のなかではトップ3に入る。音楽に向き合うことを主題化することは、音楽をどうしようもなく愛する人々に届き、音楽の可能性を、死んだ匂いのする音楽の復権をファンタジーのなかへと取り込む。ファンタジーを始めただけという自己認識において、意味するところは違えど、どうしようもない共感をおぼえるわけだ。彼女が音楽を面接しているときにおいて、その確かな歌心と、詩情によって、もうほんとうに愕然とするほどのセンスを発揮する。それを照れ隠しするかのような大森さんのどうしようもない歪んだメタポップイコンとしての振る舞いは、それはそれでかわいいとさえ目をつぶってしまうほどに。天然か計算か。その根源的なアティチュードへの思考を止めてでも、彼女の音楽を生活のなかで再生してしまう。同時代とはすこし斜め下の存在へのファンタジーとしての共感は、現実感との接合によって、何か確からしいものを与えてくれているような錯覚をお覚える。糞みたいな曲が1曲もないというそのオーダーを眺めている。その糞みたいに危うい歌詞にこぼれ散っているどうしようもない音楽と現実は、女の子とかそんな表層問題を詩情から切り取って、大森靖子の画家としてのまなざしを切りつけている。「メアドが変だから好きじゃない」と歌い込む大森さんの画家性に、僕は、画家を愛する僕は嫉妬する。彼女の詩情はいつだって画家的である。ここにきてカーネーションの直枝政広を引っ張り出し、蜷川娘による過剰な自己演出を重ね、ついにはエイベックスと契約した道重命の大森さん。とにかく計算と天然への思考を止揚しながら、このままどこまで核心を触れさせることなく、音楽に向き合い続けるのか。彼女の現実は個人的には本当に何でも良い。ただ、音楽と向き合い、そしてそのおこぼれでもよいから、音楽を運んでほしい。本作も十分聴けることは付記すべき。1stが良すぎたけど。今年が勝負。3rdが勝負。大阪でまたライブよろしく。