中村一義 : 金字塔
ARTIST / 中村一義
TITLE / 金字塔
LABEL / マーキュリー
DATE / 1997
TITLE / 金字塔
LABEL / マーキュリー
DATE / 1997
[30-71]。Lサイドによるレビューはこちら。さて。本作について、僕は何を書けばよいのだろうか。中村一義。彼は10年に1人の天才といわれた。時代は1997年。僕たちはブリットポップの興奮にはあはあいいながら、何か新しい時代の予感、すなわち21世紀の予感を抱えて生きていた。僕は多分、中学生だった。僕はこれまで、このどうしようもないブログで、2000枚を超える盤について適当な感想を書いてきた。多分、本作がなければ、これらの文章は存在しなかったに違いない。それどころか。今の僕はいない。これは、多分、その人生設計の機微においてさえ波及する意味で、いない。それがこの『金字塔』というふさわしいタイトルがつけられた1枚なのである。もう一度いおう。中村一義は10年に1人の天才といわれた。本作を作ったとき、彼は22歳だった。「天才」ということについて、中村は歌う。「天才」というのは僕が小学校の頃からのキーワードだった。僕はいつも「天才」に憧れている。美術、映像、文学、哲学、それらあらゆるジャンルにおける天才たちに胸をときめかしている。本作で中村は「天才」について歌う。「天才とは」。「天才たち」。彼の言葉は僕の心を突いた。
"天才"は、今、みんなが知ってる"天才"であり、いい奴なんで、今、昔があふれたって、いいって。だって、本物はある。(「天才とは」)
僕たちにとって、中村が歌う「天才」とははあまりに自己言及的だった。彼こそが、僕にとって未知の、そしてようやく既知になった天才だった。彼は自宅を「状況が裂いた部屋」となずけ、引きこもりのさきがけというには少し遅かったものの、おばあちゃんと暮らしながら、この1枚を創りあげた。たった1人で。膨大な先行資料を軽々と租借しながら、そのアイディアを惜しげもなく色彩化し、この傑作を生み出したのだ。彼の作る歌には「魔法」がかかっていた。
彼が「魔法を信じ続けるかい?」で歌うように、
君の心の”暇”でさ、魔法は創られる。そこには、あるんだ。まあ、理想郷までじゃないが...そこには、あるんだ。そう、色あせずに、自分自身を支える魔法が。(「魔法を信じ続けるかい?」)
僕は、僕たちは、中村一義の音楽だけでなく、言葉にまで、心酔した。彼は代弁者だった。時代の、と大きな風呂敷を敷こうか。あるいは僕たちの、ということで中村一義を専有化しようか。彼のデビューシングル「犬と猫」は強烈だった。その曲はの冒頭は次のように始まる。
どう?どう?町を背に僕は行く 今じゃワイワイ出来ないんだ。(「犬と猫」)
気分をとらえていた。そう、すごく感傷的で、どうしようもなく、欲望を押さえつけたような気分を。彼はその感傷をポジティブに提示した。
"痛み"なんてどう?最近どう?あぁそう 皆嫌う荒野を行く ブルースに殺されちゃうんだ 流行りもねぇ もう伝統ノー んで行こう!ほらボス落とせ!。(「犬と猫」)
彼は新感覚派などと呼ばれ、その独特の言葉は、甲高い言葉を瓦解させ、純粋に旋律化した。そして先鋭化した言葉がときに浮かび上がるとき、まるで天啓に撃たれたように、僕たちは確信を得た。
困ったなぁ~。毛嫌いは、どういう理由? 好きなものは多いほどいいのにぃ..そう、愛に縁が無いという人に限って、いつも愛が溢れてる。君の主人公は君だ。(「いつか」)
彼の思想は、僕の思想の形成をするに一役も二役も買った。中村一義はクリスチャンっとして育ったという。彼の言葉には「愛」に溢れていた(それは後述する彼が書くべくして書いた「永遠なるもの」でも現れている)。それはひとつの「謎」でもあった。10年に1人の天才は、なぜ世紀末になって、そのようなものを歌う必要があったのだろうか。それは僕たちに、とても局所的に生きている僕たちに向けたメッセージのように思った。中村一義の出発点は英詞だった。その感覚を日本語に移し変えることによって、生まれた平易なメッセージだった。それは中学生の思想をたやすく方向付ける程度に強力で、届きやすいものだった。
「"なぜ?"が僕の道標で、今日も行くよ」と、友人に吐いて帰る。(「謎」)
僕たちの関係は、つまりLRの関係は、中村一義に導かれるように動機付けられて、その踏みしめられた道を歩み始めた。20年後を夢見て。つまり2017年を決して遠くない未来として。その道は、岡崎京子的にいえば、本来的には90年代の気分として、「平坦な戦場」だったはずだった。ところが、そうならなかった。僕は中村一義に感謝している。僕は、平坦でもなければ戦場でもない道を歩いている。音楽を聴く。今はそれほどでもなくなっている「状況」はあるかもしれないけれど。その道に限っていっても、僕たちは彼に無数の方向性を提示された。彼がいなければ、僕はThe BeatlesをLサイドに教えてもらって、それで終わり。あとは、適当にお茶を濁して、適当なJ-ポップをカラオケで歌って、泣いて、笑って、幸福な日々を暮らしていた。ありがとう。その言葉を心から届ける人間の1人として、中村さん、あなたはいる。
僕は、僕たちになった。
本作のハイライトは終盤を祝福する「永遠なるもの」だろう。そこでは、重要な、これまで考えられた日本語の組み合わせのなかでも最上級の言葉から始まる。それは間違いなく永遠なる、まだ見ぬ、あるいは僕たちが信じるユートピアの話だ。
あぁ、部屋のドアに続く、長く果てない道・・・。平行線の二本だが、手を振るくらいは・・・。(永遠なるもの)
中村一義は、愛を歌う。理想的な愛を。肯定する。自分を肯定するように、僕たちを肯定する。何の気負いもなく、軽やかで、優しく、分かりやすく、名曲としての名曲にのせて。博愛の気持ちがほんの少し足りないという彼の宗教的バックボーンを云々してもしなくても、僕たちにはその言葉が有意味に響いたのだ。John Lennonが歌ったように。たった21歳の引きこもりで、オタクな男が、あまりにも大きな世界を提示していた。それを突きつけられたとき、そう、まさに突きつけられたんだ。今でも、その言葉に超現実的な響きがある。それはまだ突きつけられたままなんだ。どうしようも無いほどに。僕は心から願っている。このクソッタレな状況(そう、現実はいつだって状況に裂かれている)のなかにあっても。
愛が、全ての人たちへ・・・。
あぁ、全てが人並みに・・・。
あぁ、全てが幸せに・・・。
あぁ、この幼稚な気持ちが、どうか、永遠でありますように。(「永遠なるもの」)
スヌーピーが好きだ。僕は喫煙者になった。「重タール漬けガイ」までにはならなかったが。悪者が持つ孤独について、僕は考えるようになった。それは何の欲にたたない。反吐がでる。でも、僕はもう変わらない。変われない。ずっと幼稚なまま。
本作に明確なコンセプトアルバムである。その完成度は高い。しかし「まる・さんかく・しかく」 のみ中村作詞ではなく、曲もさほどよ響かない。あえて欠点を埋め込むことで、この中村一義はさらなる高みを暗示してるのではないかと当時考えていた。それはひとつの作品論として、今でも成立するように思う。そして。
あるいは、さて。僕は本作について、何を書けばよいのだろうか。僕の全てを書くほどの余力はない。また、いつかキチンと書き直すことにしよう。
もちろん、僕は、この頃の中村一義に並ぶ音楽と言葉を残した日本人を1人知っている。
そして。 この散漫な思い出は、次の言葉で終わるんだろう。本作が入れ子構造のように、円環による構成を敷いているように。
「例えば、この盤に出会わなかった自分を想像してみる。そんなことは不可能だ」
"天才"は、今、みんなが知ってる"天才"であり、いい奴なんで、今、昔があふれたって、いいって。だって、本物はある。(「天才とは」)
僕たちにとって、中村が歌う「天才」とははあまりに自己言及的だった。彼こそが、僕にとって未知の、そしてようやく既知になった天才だった。彼は自宅を「状況が裂いた部屋」となずけ、引きこもりのさきがけというには少し遅かったものの、おばあちゃんと暮らしながら、この1枚を創りあげた。たった1人で。膨大な先行資料を軽々と租借しながら、そのアイディアを惜しげもなく色彩化し、この傑作を生み出したのだ。彼の作る歌には「魔法」がかかっていた。
彼が「魔法を信じ続けるかい?」で歌うように、
君の心の”暇”でさ、魔法は創られる。そこには、あるんだ。まあ、理想郷までじゃないが...そこには、あるんだ。そう、色あせずに、自分自身を支える魔法が。(「魔法を信じ続けるかい?」)
僕は、僕たちは、中村一義の音楽だけでなく、言葉にまで、心酔した。彼は代弁者だった。時代の、と大きな風呂敷を敷こうか。あるいは僕たちの、ということで中村一義を専有化しようか。彼のデビューシングル「犬と猫」は強烈だった。その曲はの冒頭は次のように始まる。
どう?どう?町を背に僕は行く 今じゃワイワイ出来ないんだ。(「犬と猫」)
気分をとらえていた。そう、すごく感傷的で、どうしようもなく、欲望を押さえつけたような気分を。彼はその感傷をポジティブに提示した。
"痛み"なんてどう?最近どう?あぁそう 皆嫌う荒野を行く ブルースに殺されちゃうんだ 流行りもねぇ もう伝統ノー んで行こう!ほらボス落とせ!。(「犬と猫」)
彼は新感覚派などと呼ばれ、その独特の言葉は、甲高い言葉を瓦解させ、純粋に旋律化した。そして先鋭化した言葉がときに浮かび上がるとき、まるで天啓に撃たれたように、僕たちは確信を得た。
困ったなぁ~。毛嫌いは、どういう理由? 好きなものは多いほどいいのにぃ..そう、愛に縁が無いという人に限って、いつも愛が溢れてる。君の主人公は君だ。(「いつか」)
彼の思想は、僕の思想の形成をするに一役も二役も買った。中村一義はクリスチャンっとして育ったという。彼の言葉には「愛」に溢れていた(それは後述する彼が書くべくして書いた「永遠なるもの」でも現れている)。それはひとつの「謎」でもあった。10年に1人の天才は、なぜ世紀末になって、そのようなものを歌う必要があったのだろうか。それは僕たちに、とても局所的に生きている僕たちに向けたメッセージのように思った。中村一義の出発点は英詞だった。その感覚を日本語に移し変えることによって、生まれた平易なメッセージだった。それは中学生の思想をたやすく方向付ける程度に強力で、届きやすいものだった。
「"なぜ?"が僕の道標で、今日も行くよ」と、友人に吐いて帰る。(「謎」)
僕たちの関係は、つまりLRの関係は、中村一義に導かれるように動機付けられて、その踏みしめられた道を歩み始めた。20年後を夢見て。つまり2017年を決して遠くない未来として。その道は、岡崎京子的にいえば、本来的には90年代の気分として、「平坦な戦場」だったはずだった。ところが、そうならなかった。僕は中村一義に感謝している。僕は、平坦でもなければ戦場でもない道を歩いている。音楽を聴く。今はそれほどでもなくなっている「状況」はあるかもしれないけれど。その道に限っていっても、僕たちは彼に無数の方向性を提示された。彼がいなければ、僕はThe BeatlesをLサイドに教えてもらって、それで終わり。あとは、適当にお茶を濁して、適当なJ-ポップをカラオケで歌って、泣いて、笑って、幸福な日々を暮らしていた。ありがとう。その言葉を心から届ける人間の1人として、中村さん、あなたはいる。
僕は、僕たちになった。
本作のハイライトは終盤を祝福する「永遠なるもの」だろう。そこでは、重要な、これまで考えられた日本語の組み合わせのなかでも最上級の言葉から始まる。それは間違いなく永遠なる、まだ見ぬ、あるいは僕たちが信じるユートピアの話だ。
あぁ、部屋のドアに続く、長く果てない道・・・。平行線の二本だが、手を振るくらいは・・・。(永遠なるもの)
中村一義は、愛を歌う。理想的な愛を。肯定する。自分を肯定するように、僕たちを肯定する。何の気負いもなく、軽やかで、優しく、分かりやすく、名曲としての名曲にのせて。博愛の気持ちがほんの少し足りないという彼の宗教的バックボーンを云々してもしなくても、僕たちにはその言葉が有意味に響いたのだ。John Lennonが歌ったように。たった21歳の引きこもりで、オタクな男が、あまりにも大きな世界を提示していた。それを突きつけられたとき、そう、まさに突きつけられたんだ。今でも、その言葉に超現実的な響きがある。それはまだ突きつけられたままなんだ。どうしようも無いほどに。僕は心から願っている。このクソッタレな状況(そう、現実はいつだって状況に裂かれている)のなかにあっても。
愛が、全ての人たちへ・・・。
あぁ、全てが人並みに・・・。
あぁ、全てが幸せに・・・。
あぁ、この幼稚な気持ちが、どうか、永遠でありますように。(「永遠なるもの」)
スヌーピーが好きだ。僕は喫煙者になった。「重タール漬けガイ」までにはならなかったが。悪者が持つ孤独について、僕は考えるようになった。それは何の欲にたたない。反吐がでる。でも、僕はもう変わらない。変われない。ずっと幼稚なまま。
本作に明確なコンセプトアルバムである。その完成度は高い。しかし「まる・さんかく・しかく」 のみ中村作詞ではなく、曲もさほどよ響かない。あえて欠点を埋め込むことで、この中村一義はさらなる高みを暗示してるのではないかと当時考えていた。それはひとつの作品論として、今でも成立するように思う。そして。
あるいは、さて。僕は本作について、何を書けばよいのだろうか。僕の全てを書くほどの余力はない。また、いつかキチンと書き直すことにしよう。
もちろん、僕は、この頃の中村一義に並ぶ音楽と言葉を残した日本人を1人知っている。
そして。 この散漫な思い出は、次の言葉で終わるんだろう。本作が入れ子構造のように、円環による構成を敷いているように。
「例えば、この盤に出会わなかった自分を想像してみる。そんなことは不可能だ」