Keiichiro Shibuya : untitled
ARTIST / Keiichiro Shibuya
TITLE / untitled
LABEL / atak
DATE / 2004
TITLE / untitled
LABEL / atak
DATE / 2004
1413。つかめそうでつかめない渋谷慶一郎の位置。基本的に僕が興味がないからかもしれませんが、それは日本の作家全体にいえることでもあります。性向なのでしょうがない。高橋悠治をひっぱってくるあたりに渋谷さんが身投げしようとする立ち位置をうかがい知ることができると思いますが、今ではどの層が聴いているのかも定かではないですね。もちろん僕のストライクゾーンには十分収まっているのでしょうが。一応本作はそんな渋谷さんがどや顔で提示し、佐々木敦さんもうひょ顔で賞賛した「作品」です。カタ番は本作のためにとってあったというatak000。電子のなかでもグリッチと呼ばれるなかなか気持のよい音を主軸として駆使し、全体としてミニマリスティックに構成されています。ああ、うん、たしかにそうですね、と首肯するにはするのですが、結構名前が流布している割にはこんなもんかとも思ったりもしてしまう。色補聴器で聴いている部分もありのかもしれませんが。たしかに日本でこの手の電子を提示し、それがある種の擬似アカデミックなサブカルへと浸されることで、何かしら有用なものへと変貌している見かけを持つことはあろうけれども。たしかに作家としての電子使いは高標準だと思います。lineやらの実験電子納涼部の作家たちと十全に肩を並べている。しかしなんとなく、それよりも高みへと吊り上げられているのかも、という一種の期待のような穿ちがあったわけで。その結果、ああなるほどいい作家だけど騒ぐこともないな、という反動の反応に襲われるのですね。ふうむ。確実にいい盤なんだろうでしょうけど、素人耳にはワンオブゼムという理解しかできないです。時代も時代ですし。やっぱり知的であろうとすることから遠ざかるほうが作家というのはいいようにどうしても思ってしまいます。