East End × Yuri : Denim-Ed Soul 2
ARTIST / East End × Yuri
TITLE / Denim-Ed Soul 2
LABEL / epic
DATE / 1995
TITLE / Denim-Ed Soul 2
LABEL / epic
DATE / 1995
1340。Lによるそれ自体が<不在>の戯れであるレビューはこちら。単なる回顧として成立しないのが彼らの現象だった。紅白にまで出場し、90年代中葉を手中に収めた彼らはその後奇跡的な失速を余儀なくされる。その理由は何か。なぜ彼らは消費されよれよれになったのか。答えを持っているわけではない。絶望的なまでにへたくそな市井由理のラップは当時、どこまでも浸透していなかったラップというものを「こういうものだ」というかたちで提示したのかもしれない。それが「これでいいんだ」という肯定の響きまで持っていたのかもしれない。東京発ということが高らかに示されたのはカルチャーとしてのトーキョースタイルへの憧れと呼応し、全国へと熱烈なアピールとなった。ファッションやラップの核心でもある言葉遣いその他がうまくプロモーションの歯車をまわした。トラックは"Da.Yo. Ne"のイントロに端的にあらわれているが、もちろんビートやサンプリング手法からわかるようにオールドスクールをほぼそのまま日本にぶち込んだものである。「日本語はラップにあわない」という定説を崩す実践でもってそこに乗せられた日本語歌詞はラップとビートを見事に断絶している。しかし路上パフォーマンスを基礎に置く会話性がヒップホップの源流である。それは常に歌とビートの奇妙に重なり合わない二重性によって成立するのである。彼らがもうひとつ先進的だったのは、すでに由理という女性ラッパーがいたことかもしれない。世界的な動向においてどこまでも殺伐とした男ヒップホップだけだったならば、女性消費者が大きな指標となる市場では成功しなかったはずだと思う。実際Yuriの存在は絶望的に下手なラップをカバーするに余りあるものであり、むしろ潜在的なフェミニンを過剰化するために下手でなければならなかったとさえいえる(のかもしれない。他意はない)。彼らの諸作が、すでに懐メロと語られるには十分な資格を持っているにもかかわらず、それほど取り上げられないのは、ヒップホッパーとしての意地なのか、権利関係なのか。いや、むしろ彼らの作品がジャパニーズヒップホップの頂点であり、アクチュアリティを持っているとはいえないか。ジャパニーズヒップホップとはその用語の断絶によって成立しており、すでに彼らによって絶頂し完結したと僕は考えている。それ以降ヒップホップと呼ばれるものは、ジェイポップのケツバサミである。つまり欧米的なヒップホップは吸収され見事にジェイ(ヒップ)ポップ=歌謡曲になったというわけだ(この場合、ポピュラー音楽としての評価が十分あることを前提とする)。彼らがどこまでも日本人であるということ主張しなければならなかったのは、ジャパニーズヒップホップを実行する上で当然のことであり、注目すべき大きな含みなのだ。ジェイホップとして昇華されていないがゆえに、ジャパニーズヒップホップが持つ不可能性をアイデンティティの主張によって超克しようとしたのである。今でも'Da.Yo.Ne'は僕のなかで結構響く。小学校の高学年あたりからヒットチャートにあがる音楽を聴き始めた僕にとってはこの曲は他のヒット曲と同列のものとして置かれていた。つまり最初から多様性が与えられたというわけである。それ以降ヒップホップは「真正性」がないものとして遠ざけられるが、現在では敬意を払うジャンルのひとつとなった。個人的に当時のラップを使った楽曲として思い出されるのは、本作が出た95年、FM802でヘビローだったKey Of Lifeの'ASAYAKEの中で'(you tube)である。かなりの名曲だったが、そこでもGakuはフューチャーされていたのでる。最終的には過去に聴いた音楽がもっとも大切だという話。あ、そうそう。個人的には本作はフル盤としてはなかなかの駄作です。ブックオフで100円で買いました。