All Spec Kit : Busy Topic
ARTIST / All Spec Kit
TITLE / Busy Topic
LABEL / komplott
DATE / 2005
TITLE / Busy Topic
LABEL / komplott
DATE / 2005
名前は知っているがもしかしてkomplottの盤を紹介するのは初めてなのだろうか、この認識は間違っているのかあっているのか、スウェーデンのレーベルkomplottはよくアバンギャルドのコーナにちーんとおかれており、知らない作家名が並んでいるために手を出さなかったのだろうか、まあいいけど、そんなkomplottよりリリースされた本作はAndreas KurtssonによるAll Spec Kitによるものである、彼自身がAll Spec Kitがポピュラー音楽として定位しているけれども、まあその思想的背景はおいておいて、とっつきにくさから考えれば一般的なポピュラリティというものを保障するものではないことはたしかだと思う、技術性よりもその音自体に注目させようという試みはまさに1960年代のミニマル・アートにおける実践を音楽に移し変えるものといえそうである、彼自身も今ではそれほど流行していないそのようなミニマリズムの姿勢に可能性を見出しているようである、つまり僕がよくこのブログで用いる「音響的である」という事態はまさに彼の態度とその内実をともにしている、そこでは音楽の内的要素である旋律という構成がその重要性を取り払われることによって、リスナに個人的に口ずさませることを否定する、音楽を聴くという体験はまさにそれが響いているときにのみ再現されているといことであるとともに、リスナのなかで旋律が刺激として働かないために、音の響きとリスナとのあいだにはある種の緊張関係が生まれる、旋律の重要性は常にポピュラリティと一体である、音響的な作品は常にわれわれのものとはならない、それはミニマル・アートの本質が常にその場所においてのみ実現するのと同様である、もちろんここでは複製技術による大衆性の問題は度外視しているけれども、さてそのような意識はこの盤に十全に表明されているようだ、エレクトロニックなものであれアコースティックなものであれ、さまざまな音素材を構成的にでなく、反復や偶然性によって配置的に取り扱う、それがKurtssonの言い分らしい、今となればまったくもって時代錯誤のように感じられるかもしれないが、実はそれはいわゆる時流によって考えているからであり、ミニマル・アートの問題意識というのはまだ大いに有効性をもっているということは考える余地がある、それまでの音楽と造形芸術のあいだの「ミニマル」という用語に関する齟齬はこ以下の意味では消し去られるように感じられる、つまり反復されることや音数があまり使われていないといいた表面的なことではなく、たとえばドラムがリズムを生み出すものではなくまさに音を出しているということを重要視するということであり、現在のある種の傾向にあるポピュラー音楽においてこのことは看過できない観点であるように思われる、まあこの盤が作家自身の言葉も含めてそのような方向性で成功しているかは検討の余地があるけれども