V.A : Shaman Efforts -dedicated to all pioneers-
ARTIST / V.A
TITLE / Shaman Efforts -dedicated to all pioneers-
LABEL / obtain freedom
DATE / 2002
TITLE / Shaman Efforts -dedicated to all pioneers-
LABEL / obtain freedom
DATE / 2002
500枚限定、日本のレーベルみたいです、というかジャケのプリントで裏の右端にレーベル名が書いてあるのですがそれが「obatin freedom」になってる、aとtがテレコになってる、あほや、ミレニアム直後には確かに存在したある風に乗っかって設立されたこのレーベルもおそらくもはや存在しない可能性が高い、それぐらい現在の市場は飽和している、決してこのコンピの質が低いわけではない、そろえた作家群もある程度名前を電子界に広めている方々である、先のFreeformのリミックス盤に参加していたColongibとOctopus Inc、neo ouijaのコンピ'Cottage Industries'に参加していたSolenoid(DJ Brokenwindowの別名義)、lucky kitchenの設立者Aeron BergmanとAlejandra SalinasによるAlejandra & Aeron、carparkのMarumari(参考:12)、Novel 23などなど、全体的な傾向は完全に壮麗IDMでmerckやkracfive、neo ouijaといったレーベルに絡んでいく人々です、まあ外す事はない、しかしこの手のコンピはレビューするたびにどんどん時代は過ぎ去っていくという気持ちに襲われる、彼等は使い捨てられていくのか、最下が計れない場合には特にそうだろう、いかに福音をならせる人間であるとしてもそれが他の誰かにも可能である場合に彼女ないし彼は神にはなれない、複数の神はすなわち人間である、複数の天才はすなわち凡人である、しかしこの伝統的な創性の議論に於いて、それはもはやこの時代に通用させる必要はないと思う、複数の天才はやはり複数の天才であり、問題はそれらを消費して捨ててしまうわれわれの側の問題である、「好きなものは多いほうがよい」よかつての天才が発した言葉は質的な種類を想起させるが、われわれはここで量的な問題も同時に考える事ができるはずだ、それは極めて食事的であり、セックス的であり、極めて快楽主義的でアニマルな意見である、しかし本能的なものではないものに当てはめられるとき、それは新しい力を得るように思う、そのとき快楽主義的な現代社会の消費傾向においてまったく別の納得である、われわれはある種の我慢を要求されるべきだ、珍しいものを多く食べるのと同時に、ある一定のレベルに達成したものを多少のバリアントにおいて了解しながら摂取し続けること、炭水化物としての消費が、この時代の壮麗なIDMを理解するのに不可欠であるように思う、米が嫌いならそれまでだ、そしてこれはこれでかなり飽食の時代に相応しい、巨漢の論理だ、しかしそうでもしない限り量産され続けるこれらの音楽がまったく報われないのである