Jim O'Rourke : Simple Songs
ARTIST / Jim O'Rourke
TITLE / Simple Songs
LABEL / drag city
DATE / 2015
TITLE / Simple Songs
LABEL / drag city
DATE / 2015
2289。以前紹介した盤"Eureka"。もう出ない、ということはないけど、いつ出るねん、という作家の諸作が一気に実現したのが、2014-2015である。もはや音楽の時代ではないけれども、僕たちは音楽といる。まだ2015年が終わるには早いから、そのようなささやかな驚きは続くに違いない。歌モノを、しかもdrag cityからリリースするというのは2001年の"Insignificance"以来である。いつの間にか日本に住むようになり、天才音楽家はbandcanmpでまったく自分の音源が売れないと嘆きながら、売れないレコードを量産し続けている。Jim O'Roukeは、われわれの時代において紛れもなくポップスの傑作である"Eureka"を、作家の権限で駄作として貶めることまでし、それでもなお、本作をリリースしたのである。タイトルの開き直り方がすごい。どこにもシンプルさなど存在しないトラックで、よくもこんなことがいえる。結局彼は、永遠の中学生であり、それであるがゆえに、いつまでもとがり続けたいのだろう。ぬるくない。本作を作り上げているミュージシャンも様変わりした。元Meltbananaの須藤俊明(ベース)、若手でありながらもKotche同様の絶大な信頼を寄せる山本達久(ドラマー)、ソロでもO'Rourkeとのつながりが深い石橋英子(ピアノ)、そのほかにも高田蓮やらをところどころ配置して、どこまでもジャパニーズな面々で、自分の音楽を構築していった。彼らがいたから、とO'Rourke先生はいう。それはそれで、サンキュー、ジャパニーズ(・メイビー・アンダーグラウンド)、である。ele-kingの『Jim Orourke完全読本』なんかもでも、彼のリスナーとしての一面は圧倒的だったけれど、ネットでのインタでAKBやスマップなんかに(決してプラスの響きを持たせずに)言及する先生にはなんだか、幻想小説を読んでいるかのような気持ちになる。本当にディスカホリックで、どこまで言っても音楽的偏執狂、圧倒的な趣味人である。もうここまで徹底したインプットを通して洗練した独自のアウトプットを実現する作家は出てこないのではないか。それぞれの楽器が、てんでバラバラの演奏をしているはずなのに、それがボーカルを軸に、なんら違和感なく構築されていくさまを聞かされると狂っていると思う余地すらも奪っていかれるわけだけど、先生が考えに考えて、もしかしたら10年後には駄作になってしまうかもしれないと思うと、それはそれで10年後が楽しみになる。もはや時代はインディーもメジャーもなく、音楽などは個別にアクセスするのではない、哲学的な意味でのBGMになろうとしているなかで、少しでも、その創造性の出力の活力が数少ない天才へと与えられますように。全体的に、やや荘厳で大仰な仕事も施されているきらいもあるけれども、それはたまりにたまった白濁ということで。そして、本作も、死んでしまったように、すぐに忘れ去られていく。今音楽は、100万人のためか、100人のために作られているのだ。