大森靖子 : 音楽を捨てよ、そして音楽へ 2012 live
ARTIST / 大森靖子
TITLE / 音楽を捨てよ、そして音楽へ 2012 live
LABEL / pink records
DATE / 2013
TITLE / 音楽を捨てよ、そして音楽へ 2012 live
LABEL / pink records
DATE / 2013
2280。以前紹介した盤"トカレフ"。たった2年前の話である。あるいは3年前の話。このどうしようもない輝かしき切れ味しかない黒歴史感に僕は頭を垂れるしかない。現状と未来、そして多様性を肯定することを望む作家であるということを分かった上で、過去が肯定される人間がこの世にどの程度いるか考えることをすすめる。過去の栄光を抱えることの人間なんて、そんなにいないのだ。場所などのクレジットはないが、申し訳程度に収録されているまばらな拍手を手に入れるために、大森靖子は全力で歌っている。これがパフォーマンスなのである。過信すら通り過ぎた音楽への信仰と、その信仰の器としてふさわしい能力のもと、彼女は歌を歌っている。現在は適度に入手困難なことが悔やまれる本作だが、曲のラインナップは、彼女が本現場と指定する現在のライブでも聴くことができる。全て弾き語り。プログレ歌謡曲の様相に触れる前の、裸一貫谷間ちらちらなガチの勝負である。いまだに、彼女は弾き語りの頃が一番だった、という言葉がある。作家はそれを受け入れない。しかし、そのような言説は、どうしようもない信仰と一致しているということを作家はきっとわかる日が来るに違いない。今との比較とか、今が良くないからとか、そのような通史としての作家論とは切り離され、まさに音楽へ、音楽へと向かった言葉たちなのだと思う。それぐらい、大森靖子が愛する音楽をアウフハーベンして作り上げたジェイポップは、抽象的な境地で日本の最高峰の音楽として、突き刺されたのであった。惜しむ楽は、音楽と音楽市場が一致した時代ではなかった、ということぐらいである。それはどうしようもなく大きく、策士がどうにかマジックのネタを仕込んだとしても、奇蹟のような結末へと至らない程度に、どうしようもなく大きいのだ。それでも、まだ2年、あるいは3年、あるいはそれに似た数年。その数歩で作家は何も変わらない。ライブをもっともふさわしく締めくくる「さようなら」はこのように締めくくられる。
わからなければ死ねばいい
私はまだ歩ける
作家が、そのように歌い続ける限り、最初の3分に、あるいはそれに似た数分に、どのような必死のあがきがこめられていようとも、その最後には、音楽へ向かう足音がそこにはこめられているのだ。僕たちはそう信じることができるだろう。惜しむらくは、本作を含む複数のCDR音源の入手に、多少なりとも手間取るという事実だろう。もはやヒットメドレーのように、完成された、捨てようのない音楽の数々へ。過去への憧憬は信仰でしかない。僕の記述は、それゆえ、最上の賛辞を惜しげもなく注ぎ込む、そして僕は、彼女の現在を追いかけている。
わからなければ死ねばいい
私はまだ歩ける
作家が、そのように歌い続ける限り、最初の3分に、あるいはそれに似た数分に、どのような必死のあがきがこめられていようとも、その最後には、音楽へ向かう足音がそこにはこめられているのだ。僕たちはそう信じることができるだろう。惜しむらくは、本作を含む複数のCDR音源の入手に、多少なりとも手間取るという事実だろう。もはやヒットメドレーのように、完成された、捨てようのない音楽の数々へ。過去への憧憬は信仰でしかない。僕の記述は、それゆえ、最上の賛辞を惜しげもなく注ぎ込む、そして僕は、彼女の現在を追いかけている。